前回の記事にて触れた、世界陸上2017ロンドン大会、男子100m決勝。
関連記事:【世界陸上2017/男子100m準決勝、決勝】やはり、最後まで主役は「彼」だった・・・
そのレース内容は既に書いた通りなのだが、レース後に起こったことが別の意味で世界の注目を浴びてしまったところがある。
何が起こったのか。
もう既にご存知の方も多いと思うが、優勝した選手にブーイングが浴びせられたのだ。そう、ウサイン・ボルト選手を破り、優勝をしたガトリン選手(アメリカ)に、である。
では、なぜそんなことに?
前述の関連記事に書いたように、ウサイン・ボルト選手が最後のレースと表明していた大会に、彼の勝利を期待していたファンが多かったことは想像に難くない。しかし、それ以上に、ガトリン選手の過去の出来事に深く関連しているようである。それは・・・彼が過去に2度、ドーピング問題を引き起こし、出場停止の期間があったという事実なのだ。
言い過ぎかもしれないが、端的にいうと、
「クリーンなボルト選手と、不正をしたガトリン選手」
という対比的なイメージがこれまでの出来事で世間の根底につくられてしまい、ガトリン選手が勝つことはあってはならないこと、というメッセージがブーイングに込められていたのかもしれない。
「陸上ファンとして、そんな選手が勝つことを喜べるわけがないじゃないか」
それが会場を埋め尽くした観客からの、1つの意思表示だったのかもしれない。
少し視点を変えてみる。
想像の範囲になるかもしれないが、もし自分が世界の舞台で切磋琢磨するアスリートの立場だと考えたら、「薬物などの力に頼らず、人生を掛けて血の滲むようなトレーニングをしてきたのに、ドーピングというズルをして同じ舞台に立たれたのでは、たまったものではない!!!!」という素直な気持ちになるのも当然、理解出来る。
4×100mリレーのメダリストである朝原氏は自身のtwitterで、
とコメントしている。
このコメントは同じ種目で、同じように世界の頂点を目指して競いあった国を代表するトップスプリンター同士だからこそ、ストレートに出てきた思いだったのではないだろうか。
同時に世間の報道やニュースを見ていると、彼を擁護する見方があることも事実だ。
朝のニュース番組キャスターである小倉氏は番組の中で、
小倉キャスターは「ガトリンがかわいそうで、見ていて号泣しちゃった。35歳でしかも4年間出場停止の時期があって、ここまでカムバックするには、どれだけ彼が努力をしたか。1度、2度の失敗は認めてくれないのか」と勝者へのブーイングに一石を投じた。
引用記事:小倉智昭氏、世界陸上男子100Vガトリンへのブーイングに「見ていて号泣しちゃった」
というコメントをしている。
これらの意見や見解をまとめて、擁護派と反対派という形で意見をぶつけあったところで、きっと皆が納得するような答えが出る話ではないだろう。
ただ、個人的に素直に思うのは、まずは事実は事実として、受け止めておきたいということ。
①オリンピック、世界陸上にて金メダルを獲得、世界の頂点に立ったこと。
②ガトリン選手がドーピングの検査が陽性という判断が下されたこと。
③それが2度あったということ。
④その結果にも伴い、出場(資格)停止というペナルティが課されたこと。
⑤その期間が終わり、陸上界に復帰したということ。
⑥その後、ドーピング検査を受けて、一度も陽性になっていないということ。
⑦世界大会に出場して、世界レベルで戦い、銀メダル、そして、金メダルを獲得出来る実力があること。
⑧35歳という年齢で、現役の第一線でそのスキルと体力を維持し、金メダリストに返り咲いたこと。
時間軸を無視して、この中で一般的な観点から彼がブーイングを受けるであろう点は、②、そして、③である。
もし、彼の歴史の中にこの②③がなかったら、彼はアメリカの陸上界において、いや、世界の陸上界においても、1つの時代を支えた英雄であったし、ボルトのライバルとして、多くの称賛を受ける選手であっただろうと思う。
ただ少し厄介なのは、②の実際に陽性反応を受けた、という事実が、③のように「2回」あったということ。言葉上だけの意味で受け止めるなら、一度注意を受けたのに、それを反省せずに「また同じ過ちを繰り返した」ということになる。
この部分がもしかしたら、「ドーピングで陽性反応を受けた」という事実を2回繰り返した、というだけに留まらず、「彼は言うことを聞かない、身勝手な悪役(ヒール)」というイメージと世間の嫌悪感を、想像以上に膨らませていると考えられるかもしれない。
しかも、こんな報道もされている。
2006年8月23日、米国反ドーピング機関(USADA)は今後ドーピングに関する調査に協力することを条件に、最長8年間の出場停止処分にしたと発表。2008年2月に、処分は4年に短縮された。さらに、一度目に犯したとされるドーピングが、注意欠陥障害の治療薬が原因であるため、ガトリン側は、一度目の件はドーピングには当たらないと主張していた。
引用:Wikipedia
一度、8年と言われた期間が4年に短縮され、かつ、2回中1回のドーピングに関しては、「悪意がない」という主張をしたと言う風に取ることもできる。
ここでも、この事実を先ほどの「彼は言うことを聞かない、身勝手な悪役(ヒール)」というイメージに重ねたとしたら、そのイメージをより強固にするようにしか見えない。
そんな全てのやり取りが、彼の功績を全て包み込んでしまい、彼はいつの間にか、「陸上界のヒール役」としてのイメージを作られ、活躍をすればするほどに、ヒールが活躍する原動力となる「負(マイナス)」の部分を増大させてしまったのではないだろうか。
そう考えると、彼がブーイングを受ける理由というのは、「数々の功績」という「プラス」が「ドーピング陽性」という「マイナス」と足し算(引き算)の関係にあるのではなく、それぞれが掛け算、つまり、良い成績をあげればあげるほどに、ヒールという、悪役としてのイメージを作り上げることになってしまったと言え、彼だけではどうにもできない自体に追い込まれているのかもしれない。
話をまとめたい。
ドーピング自体、どんな理由があったとしても、神聖な競争の場においてはその場を汚すものとして、到底認められることはない、という事実は変わらない。
そして、その過ちを犯した(または疑われる事実があった)選手が、その事実をどんな形であっても、後から消し去ることはできないものなのかもしれない。そして、世間はそれを許してくれないのかもしれない。
ただ、もし仮に、第三者が意図的にでも、無意識的にでも作り上げた「ヒール」という存在がエンターテイメントとしての競技を面白くしているとしたならば、そこにある種の「敬意」があっても良いのかもしれない。
そして、これだけあからさまにブーイングを浴びるような状況下において、これだけの期間、世界の舞台で挑戦を続け、そして、最後に金メダルを獲得することができるまで自分を追い込める人間は、よほどのメンタリティとタフさが備わっているのだろうと、素直に尊敬に値すると感じる。
もちろん、これらの事実を見て、どう考えるかはそれぞれ個人の自由だ。
ただ、過去を過去としてしっかりと受け止めた上で、また違うチャンスが与えられる、というそんな世の中は、決して悪いものではない気がする。
そして、最後に・・・
ガトリンは100mレース後のインタビューで、ボルト選手のことを聞かれて・・・
「彼(ボルト選手)がこの競技をより高いレベルに引き上げた存在であった」と最大の賛辞を送り、そして、ゴール後にボルト選手からなんと声を掛けられたかの質問に「君(ガトリン選手)はこの結果に値するが、こんなブーイングを受けるような人間ではないよ」と答えた。
そして、ボルト選手へのインタビューでガトリン選手へのブーイングについて聞かれて、
「彼(ガトリン選手)は素晴らしい選手であり、素晴らしい人間だ」と答えた。
何度となく、世界の頂点の座をかけて競い合った2人の主役たちの間には、2人にしか分からない世界があるのだろうと思う。
レース後のメダリスト3選手での記者会見では、ある記者の質問にボルト選手があからさまに不快感を露わにして、応えるシーンがある。
そこで、ボルト選手は他の選手に「僕が答えるから」とジェスチャーで伝えた上で「あなたの質問は、ここにいる3名に対して、非常に失礼だ」と答えた。
他の選手たちが答えるときも、それぞれの選手は「自分」ではなく、たびたび「我々」という表現を使い、そして、他の選手を讃える言葉を使っていた。
完全なる個人競技に見える陸上競技は、世界のトップ選手たちにとっては、彼らしか分からない世界で切磋琢磨を繰り返す「チーム」のようなものなのかもしれない。
世界がガトリン選手にブーイングを浴びせたとき、トラックにいた選手たちは、少なくても、彼と何度も競い合ってきた選手は、彼にブーイングを浴びせなかった。
そんな、世界最高の舞台で、世界最高に興奮する戦いを見せてくれた選手たちに、ファンとして、大きな拍手と敬意を「チーム」に送るのはどうだろうか?
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